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世間が望む優良な消費者になるのは簡単ではない [日記・雑感]

最近は洗い物をするための水が冷たくなりすぎるので、給湯機のお力を借りざるを得ません。

しかし持ち前の貧乏性のせいでしょうか?最後の一流しまでは給湯機のお力は借りずに冷たい水を使います。

最初から最後まで暖かいお湯を使うのでは無く、最後だけお湯を使って手先を温める事で体温を戻すのですね。

これは別に無職になったから節約のために始めた訳でもなく、以前からの習慣です。

そんな持ち前の貧乏性が発揮された事で、もうすぐ正月になるのも手伝ったのでしょうか、社畜時代のとある出来事を思い出してしまいました。

それは私が3か月の短期プロジェクトのお手伝いと聞かされ、ある大手電気メーカーの子会社に派遣されて数年が経ったある日、年賀状の話題になり、年賀状はいつも余ってしまうと話している人がいました。

そこで私は「余ったり書き損じた年賀状は手数料を払えば通常はがきや切手に換えられますよ。私の母親はよくやっていました」とドヤ顔で豆知識を披露します。

すると派遣先の社員の一人が「セコイですね。面倒じゃないですか?」と。

ドヤ顔にカウンターを一閃喰らってしまい、私は収入の高い人は考え方も違ってくるもんだなと思いました。

でも、その話を思い出してしまったので再度考えてみます。

果たして私が派遣先の方と同等の高収入だったら、同じようにセコイとの考え方に到るのだろうか?と。

そうはならないとの結論を導き出しました。

やはり個人の経済的行動は、子供の頃からの積み重ねの結果が色濃く出ると思います。

例え収入の高い仕事に就いていたとしても、その積み重ねが私の考え方を縛り、結局は節約に軍配を上げるでしょう。

ちなみに話で聞いた限りでは、その方は実家もかなり裕福らしく、子供の頃からお金に苦労した事は無さそうです。

清貧を無駄に持ち上げる日本人の規範としては、私の考えの方が勿体無い精神を発揮していて良さそうに見えるかもしれません。

ですが世間が望む理想的な消費者としては、私の考え方は優秀どころか落第生でしょう。

せせこましい節約なんぞ心掛けずに、不要な物はあっさりと切り捨て、欲しい物を買うために働いて手に入れる。

そんな人が優秀な消費者、理想的な社会人として認められる。

私などは落第的な消費者、社会のお荷物として認識されるでしょう。

でも子供の頃から積み重ねられてきた経済観念は、簡単に捨てられないし捨てる気もありません。

優秀な消費者としての地位を得るには、子供の頃からの積み重ねが大事であって、そう簡単に得られるものではないのです。

まあそんな地位を得たいと思った事は無いんですけどね。




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