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貧乏人は知恵を食え [食事]

池田勇人氏による名言「貧乏人は麦を食え」をもじってみました。

全くその通りで、私はお米スキーな貧乏リタイアですが、(小)麦製品はアメリカンヒーロー並みに私を助けてくれています。

これが暴言とされたのは戦後間もなくですが、今でもこれが通用するのですから大したものですね。

ただ、私は「貧乏人は麦を食え」から発展させて「貧乏人は知恵を食え」にさせて頂きたい。

まあ「知恵」の部分は「知識」とかの類いでも構わないですが、ひらがな2文字の方が語呂が良いので「知恵」と。

「麦」を「知恵」とした、その心は?と問われれば、今はありがたい事にインターネッツの普及で、その「麦」の使い勝手が無料で分かっちまうのです。

そう思ったきっかけとしては「麦」ではなく「生姜」なんですけどね。

生姜って結構安く手に入るし、色々と料理に使えるので消費する事が容易な食材ですが、持ち前の辛味のお陰で消費スピード自体は少量ずつな方が多いと思います。

私も夏場なら薬味としてフル活用されるのですが、冬場になると焼酎の生姜おろし割りくらいしか出番が無くなってしまいます。

そんな中、業務スーパーで安さにつられて買った酢の使い道について、大根の酢漬けや料理のアクセント以外の使い道を探っていたら、そこに生姜の文字を見かけてしまいました。

生姜の酢漬けですね。

要するにガリですよ。

随分と親しんでいたはずですけど、それを見るまでは頭も回りませんでしたよ、生姜でガリを作るって。

まあ新生姜ではないので、お寿司屋さんのガリのようになるかは分かりませんが、食べられるモノにはなるでしょう。

結局私は何が言いたいのか?

安い食材は頑張って近くのスーパーを探し回れば手に入ります。

でも昔はお料理教室に通うなり、キューピー3分間クッキングみたいなもので取り上げられないと、その安い食材を有効活用できなかった。

それが今、と言うかインターネッツが普及して以降は、いくらでも有効活用できちまうんです。

シェフにお任せできるお金持ちでもない貧乏人は、ありがたくも無料で公開してくれている、他人の知恵(知識)を食べてお安く生きて行けるのです。

良い世の中になりましたね。




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引き篭もり無職になったら運動不足に悩むと思っていました [セミリタイア]

無職になる前の一年ほど前には、家に引き篭もっていると運動不足による体の不調が出るだろうな、散歩なりで定期的に体を動かさないとまずいだろうな、などと思っていました。

ですが、今のところ体の不調が出そうな傾向はありません。

むしろ在職中の頃より体調は良いですね。

在職中には、春は花粉症が出て苦しみ、夏は汗のかき過ぎによる蕁麻疹が出て苦しみ、秋にほっと一息ついたのもつかの間に、冬は風邪と肌荒れに苦しんでいた記憶しかありません。

去年一年間引き篭もっていましたが、室内にいるので春の花粉症は例年より軽く、夏はほぼパン一状態なので蕁麻疹も軽く、秋はすこぶる快適で、冬は菌を貰わないので風邪をひかないし乾燥した外に出ないので肌荒れも軽かった。

運動不足に関して言えば、もともと私はデスクワークメインのSEだったので、たまにサーバーやUPSを持ち上げたりする以外には、通勤時の自転車片道20分の往復だけが運動のメインだったので、体への影響を差し引きしたらプラスの方が多いですね。

今後は引き篭もり生活の体調への影響が出てくるかもしれませんが、それは定期的に自転車で近所をふらつけば解決する事でしょう。

今の段階で言えば、体調面ではプラスの事しか現れていません。

世間一般の引き篭もりに対するイメージでは、体も心もボロボロな哀れな人だと思われているかもしれませんが、意外と健康で文化的な生活を営めていますよ。

まあ「人と関わってこそ健康的で文化的な生活だ!」って言われちゃうとどうしようも無いですけどね。




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英語なんて入試科目から外せばいいのに [日記・雑感]

私はテニスに何の興味もありませんが、大阪なおみさんが凄い事を成し遂げたようで話題になっていますね。

記者会見やインタビューでの英語がどうだ日本語がどうだと、どうでも良い話題が記事になっていたりするので、特段の興味が無くとも自然と目に入ってきます。

私自身は写真以外で大阪なおみさんを見たことはなく、動いたり喋ったりしている動画すら見かけた事はありませんが、色々と目に入った記事を読んだ限りでは日本語はあまり得意ではないようですね。

まあ大阪なおみさんが日本語が不得意であろうと、私には別に何ら関係ありませんが、不得意と言えば私は英語が非常に不得意です。

多分、そこいらの中学生をつかまえて競い合っても負ける自信があります。

中高大と英語の科目を履修してきたにも関わらず、ダメなものはダメですね。

仕方がないので大学受験をした時には、英語の配点が少ないと噂があったところか、英語を受けずに済むところを受けたものです。

そんな私が何で英語が苦手なのか、今さらながらに考えてみると、私は文法を学習する事が嫌いなせいでしょう。

私の得意教科は現代国語でしたが、文章読解が得意な反面、文法は苦手としていました。

現国より文法の問題が多めの古文も苦手意識が強かったですね。

そりゃあ英語が出来るに越した事はありませんが、文法がどうこう言われだすと苦痛なだけで楽しさのカケラすら感じずに、どんどん英語からは距離を置くようになっていきました。

そんな英語が出来ない私ですが、それをあまりコンプレックスに感じずにいられるのは、日本は私同様に長年英語教育を受けたにも関わらず、英語が話せない人が多いと言う事。

これは他者との意思疎通に英語を使うために教育をやっているわけなので、日本方式の英語教育は失敗していると言えるのではないでしょうか?

いっその事、単なる受験科目と化している英語なんて入試の科目から外して、その代わりに入試面接を英語でやるようにでもした方が、英会話が出来る人が増えるんじゃないでしょうかね?

会話に英語を使うだけであれば、多少の文法の間違いとかなんて問題にならないでしょう。

言語なんて本来はコミュニュケーションツールに過ぎないものを、学問としてやらされるから苦手意識を持ってしまうんじゃないか?

そんな事を英語が全く出来ない私が、大阪なおみさんの記事を読みながら妄想を膨らませてみました。




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